〜白虎隊の城〜

会津若松城

 白虎隊の城として有名な会津若松城、通称鶴ケ城です。
元の名は黒川城。
戦国時代には名門と呼ばれた蘆名氏の居城でしたが、蘆名氏が伊達政宗に滅ぼされると、伊達氏の居城となりました。
その後、秀吉の命で蒲生氏郷が城主となると、「若松」と改められました。

 江戸時代には親藩・松平氏の居城となり、幕末に至りますが、藩主・容保が京都守護職となり、尊攘派を取り締まったことから、長州の恨みを買うことになり、戊辰戦争では目の敵とされました。
会津藩の戦死者は埋葬されることも許されず、遺体は野ざらしにされていたそうです。
藩士は不毛の地・斗南へ強制移転され、福島県下最大の都市でありながら、県庁が置かれず、一地方都市にされてしまうなど、いじめ抜かれたようです。

 白虎隊が自刃した飯盛山から会津若松城を見てみました。
中央部分にぼんやり見えるのが会津若松城です。
画像をクリックすれば拡大図になりますので、ご覧下さい。
周りの武家屋敷が燃えているのを、城が燃えているのと勘違いして自刃したのですが、これなら仕方ないような気がします。

 話については日本テレビで放送した「白虎隊」の影響が大きいのですが、白虎隊や娘子隊、それに二本松少年隊等、戊辰戦争の悲劇はいろいろありますが、時代の激流に翻弄されたことが悲劇の始まりという気がします。
ただ個人的には、長州は長州で、ボロボロになりながらも自分の主張を貫いているので、これはこれで好きなのですが...。


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