管理人のマシン遍歴

管理人が今までに愛用している数々のマシン達です。


PCX160 (ホンダ)

2022年5月〜

 愛称は「クルーザー」。
スカイウェイブがハリケーンだったので、続くライダーマシンとして仮面ライダーXの愛車から取った。
元々は二代目プラドの愛称として使っていたのだが、それを引き継ぐ形となった。

 以前コンパクトさから125ccへの乗り換えを検討したことがあった。
しかし、125ccでは走れる道路に制限があるし、高速も走れない。
そんなことから乗り換え計画は頓挫した。
その時に最有力候補として考えていたがPCXだった。

 その後自宅の物置を改造し、バイクが収納できるようになったのを機に、再び乗り換えを検討するようになった。
その対象となったのがPCX160だ。
125ccと同じ車体なので、コンパクトで扱いやすい。
それでいて、250ccと同じ軽二輪なので道路の制限もない。
そんな訳で、遂に購入に踏み切った。

 色はスカイウェイブと同じシルバーにしたかった。
だがシルバーは125ccにはあるのに、何故か160ccにはない。
そうなると色にこだわりはなかった。
一番早く手に入るのはブラックだと言われたので、ブラックに即決した。

 ETC、ドライブレコーダー、ロングスクリーンに加え、オプティメートやバイクナビもスカイウェイブから移行。
期待通り、コンパクトなボディと快適な走りを楽しませてくれている。



ハスラー J-Styleターボ (スズキ)

2021年9月〜

 愛称は「ハスラーくん」。
そのままな感じだが、由来は「大鉄人17」。
劇中でで巨大頭脳ブレインが大月ウルフ氏演じるハスラー教授を「ハスラーくん」と呼んでいた。

 ワゴンRからの買い換えにあたり、候補として考えたのはハスラー、新ワゴンR、ピクシス メガの3つ。
この中で一番気になるのはハスラーだった。
ワゴンRでお世話になっている担当者に相談し、早速試乗を予約した。
期待通り非常に乗り心地がよく、非常に満足だったので、その場でハスラーに決定した。
ハスラーという名前は、歴代仮面ライダーのマシンのベース車輌だったスズキTS250の通称だった。
このこともハスラーに惹かれた理由の一つだったのかもしれない。
そういった意味では、バイクでは叶わなかったハスラー乗りが、車で実現することになる。

 まずは色の選択。
これはクールカーキに即決した。
仮面ライダー1号(桜島1号)を思わせる色合いが気に入ったのだ。
ちなみに同じ理由で二代目プラドを購入する際の候補だったことがある。
クールカーキの色設定は、単色かホワイトとのツートーンのどちらか。
単色ならHYBRID X、ツートーンならJ-Styleということになる。
単色は地味、ホワイトとのツートーンはちょっと派手な印象。
ブラックとのツートーンがあれば決まりだったのだが、その組み合わせはない。
結局単色の方に傾き、グレードはHYBRID Xターボでほぼ固まっていた。
そんな時、YouTubeでまさにこの二つを比較している動画があった。

 J-Styleは単にツートーンなだけでなく、随所にメタリックを採用している。
このメタリックに惹かれた。
それに加え、装備もいろいろと充実している。
HYBRID Xターボにオプションで付けるより、トータルではお得だ。
そんな訳で、急速にJ-Styleに傾いていった。
1号ライダーのベルトの色が白だということを考えると、ホワイトとのツートーンも悪くない。
それらを考え合わせた結果、J-Styleターボに決定した。
だが、J-Styleは特に人気で、三ヶ月待ちとのこと。
ワゴンRの車検は11月だったので、間に合うように7月に契約した。

 8月に入り、キャンセルが出たので順番を繰り上げることができるという連絡が。
もちろんお願いした。
そのおかげでオリンピック仕様の白ナンバーにも間に合った。
納車日は二代目プラドと同様、大安吉日を選び、9月22日にした。

 軽自動車とは思えない軽快な走りは非常に快適。
通勤に関しては、プラドと比べて全然不満は感じない。
ナビの画面も大きく、非常に見やすくていい。
オーディオはiPod touchが対応しない機種だったので、USBを利用するようになった。
映像も見られる分、iPod touchより進化したと言えるかもしれない。
唯一の難点といえば、道路のヘコミによる衝撃だろうか。
ずっとデカい車だったので、それは致し方ないのだが。

 2022年2月にプラドを手放してからは13年ぶりの単独マシンとなった(バイクはあるが)。
後部座席は基本フラットにして広々と使っている。



ランドクルーザー プラド (トヨタ)

2015年5月〜2022年2月 (6年9か月)

 前のプラドが290,000kmを突破し、買い換えを決断した。
初代テラノ以来、このタイプの車が気に入っているので、今回もプラドにした。
連休の関係で、5月2日なら納車は可能だが、3日〜6日が休みとのこと。
2日は仏滅だったので、大安吉日を選んで5月9日納車となった。


 愛称は「クルーザー」。
ランドクルーザーシリーズであることから、仮面ライダーXの愛車に因んで名づけた。
初代の時に付けてもいい名前なのだが、初代はナンバーに因んだため、二代目で初めて採用した。

 今回はファミリア→初代テラノ以来の代車を挟まないダイレクトな移行となった。
初代は3,400ccだったが、3,400ccはなくなってしまい、2,700ccか4,000ccの二択に迫られた。
3,400ccでさえ燃費の問題を抱えていたのに、さすがに4,000ccには不安がある。
2,700ccを試乗したところ、特にパワーに問題は感じなかったので、2,700ccにした。
種別方法が排気量になり、2,700ccがTX、4,000ccがTZという区分になっていた。
そのため初代はTZだったのが二代目はTXになり、グレードダウンした感じになってしまった。
また、サードシートを使うことはほとんどなかったので、5人乗りにした。

 サイズは初代プラドと1cmほどしか変わっていないが、サイドアンダーミラーがなくなったためか、かなり大きくなったように感じた。
前回の購入から10年経っているため、周辺機器も格段に進化した。
オーディオがCDやHDではなくなり、iPodコントロールになったので、iPod(当初はnano、後にtouch)が大活躍するようになった。
また、地デジやBlu-rayにも対応、電話もBluetoothで接続されるようになった。
快適さは初代よりさらに進化した。
春日山城を訪れた際にはその快適さを存分に発揮してくれた。
購入から6年3か月が経った2021年7月末、走行距離が130,000kmを突破した。

 2021年9月にハスラーを購入したことで、普段はプラド、母が乗る時はワゴンRという住み分けが崩れた。
帰宅した時に、出番を失って駐車場に駐まっている姿に寂しさを感じるようになった。
非経済的な二台持ちも、何れはどうにかしなければとも思っていた。
熟慮の末、ついにハスラー一台に絞る決断をした。
何の問題もない状態で手放すのは初めてだったので、やはり寂しいものだ。

 次の車検が4月24日に迫っているということもあったので、早速動き出した。
深夜に買取センターのサイトに登録したところ、翌朝8時から電話が鳴り始めた。
最初につながったビッグモーターに行ったところ、いい感じの値段だったので、そこに決定した。

 これにより、初代テラノ以来32年に及ぶ四駆生活と、ワゴンR購入以来13年に及ぶ二台持ち生活に終止符が打たれた。
奇しくも2月6日、自分の誕生日だった。
別れの時の走行距離は132,477kmだった。



ワゴンR車いす移動車 (スズキ)

2008年11月〜2021年9月 (12年10か月)

 愛称は「ジャン」。
2号機ということで、「ジャンボーグナイン」に因んだ。
本当は「ジャン」はエースのセスナの方で、ナインは「ジャンカー」なのだが、歌詞でも「走れジャン!」と言っているので、そこはよしとした。

 父の病院への送り迎えが車高の高いプラドでは不便なので、車椅子ごと乗車できる車を購入しようと考えた。
いろいろと調べた結果、このワゴンRに決定した。
福祉車輌は数が少なく、元々シルバーかホワイトしかなかったのだが、ホワイトしか残っていなかったので選択の余地はなかった。
しかし納車の二週間後、一度も乗せることないまま父が突然他界してしまい、購入した意味がなくなってしまった。

 結果として純粋なセカンドカーとなってしまい、近場での仕事や休日のテニス、買い物等に利用するようになった。
また、高齢の母がプラドに乗りたがらなかったので、母を連れての外出には専らこちらを利用した。
初代テラノの1989年以来ずっと大きな車だったので、コンパクトで小回りが効くのは便利だった。

 しかし、元々の目的が車いす移動だったため、装備は必要最低限のものしかつけていなかった。
オーディオはCDとラジオのみなので、聴きたい曲をCDに焼いて聴いていた。
トランスミッターでiPodをFMに飛ばしたりもしてみたが、今イチだった。
結局2016年12月にオーディオを換装し、iPodから直接音楽を聴けるようにした。
ナビはスカイウェイブと共用でHDゴリラを取り付けていたので、テレビやDVDを見ることはできた。
2020年1月には東京オリンピック仕様の白ナンバーに変えたりもした。

 2021年、11月の車検で満13年を迎えることになった。
13年とはいっても、通勤に使っていないので、走行距離は22,000kmくらいだ。
ちなみにプラドの方は6年で130,000kmに達している。
静岡までの通勤に使い、加えて最初の3年間は藤枝や焼津に行かされたのだから当然ではある。
2018年に転職し、通勤距離は50数kmから20数kmになった。
軽自動車での通勤も十分可能な距離ではある。
ただ、この車で毎日通勤するにはパワー不足、装備面での物足りなさは否めない。
そんなことから、通勤に利用できる軽への買い換えを決断した。
別れの時の走行距離は22,585km。
先代プラドより期間は長く乗ったが、距離は10分の1に満たなかった。



スカイウェイブ250 (スズキ)

2006年8月〜2022年5月 (15年9か月)


 愛称は「ハリケーン」。
仮面ライダーV3のマシンから取った。
ハカイダー好きの管理人としては「白いカラス」と名づけたかった。
名前は「白い」だが、色はシルバーなので、そこもマッチしている。
だがこの名前、残念ながら劇中では登場しないので断念。
次に仮面ライダー1号の「サイクロン」も考えたが、劇中でマシンの名前を叫ぶシーンがないのでこれも断念。
サイクロンの次のハリケーンを採用した。
ハリケーンは本来「青いマシン(車)」なのだが、「走れハリケーン」の歌詞の中ては「赤いマシン」とも「白いマシン」とも言われているから、問題はないだろうということで。



 路上で大型スクーターを見かけるようになり、乗りたいと思うようになった。
だからといってギヤチェンジの教習を受けるのも大変そうなので、AT限定免許が出たら取ろうと思っていた。
予想通り登場、近所の自動車学校でも教習が始まったので、GWを利用して通い始め、ついに取得した。
卒業検定後その足で見積もりをしてもらい、翌週に注文、さらに翌週納車となった。

 大学卒業の時、卒業試験が終わってから卒業式までの期間にバイクの免許を取ろうと思っていた。
しかし、新人研修が2月中旬から始まってしまい、叶わなかった。
18年経ってようやく実現したことになる。

 普通車と違い、風を切って走る快感はすばらしい。
それでいて250ccのパワーは非常に快適。
予想以上の満足である。
休暇には富士五湖方面によく出掛けるが、風を切って走るのは気分爽快だ。
会社仲間でツーリングにも出掛けた。
ドライブと違って連なってただひたすら走るのもいいものだ。
テニスの練習に出かける時にもよく利用している。
テニスと同時にライダーライフも満喫できるという二重の贅沢を満喫している。
ETCを取り付けて東名高速や西富士道路もスムーズに通過できるようになった。

 ワゴンRと共用でHDゴリラを購入、バイクナビ工房のナビクッションを取り付けられるようにハンドルカバーに穴を空けてハンドルブレースを取り付けた。
これにより未知の土地へも気軽に出掛けられるようになった。
ゴリラのナビデータが更新されなくなってからは、製作所ネットで作ってもらったiPad mini用車載ブラケットをナビクッションに取り付けて使用している。

 その後、MT車に乗りたくなり、AT限定を解除した。
(詳細は「AT限定解除日記」にて。)
MT車に乗り換えようかとも考えたが、やはり愛着のある1号機であることや、AT車の手軽さと収納力から手放すことはできなかった。
また、手軽さを考えて125ccに乗り換えようと思ったりもしたが、乗れる道路に制限があることからこちらも断念。
結局手放すことなく乗り続けている。
気がつけば、歴代のマシンの中で一番長く乗っていた。

 自宅の物置を改造したのを機に、再びコンパクトなマシンへの乗り換えを考えるようになった。
150ccであれば、サイズは125ccと変わらず、道路の問題もないことから、ついに決断。
免許を取ったその足で購入して以来、16年目にしてついにお別れとなった。

最終的な走行距離は7,839kmだった。



ランドクルーザー プラド (トヨタ)

2004年10月〜2015年5月 (10年7か月)

 愛称は「ファイズ」。
初めての希望ナンバー制により、ライダーにちなんだナンバーにした。
テラノに代わる車ということで、候補として考えていたのはプラドとパジェロだったが、三菱自動車の相次ぐ不祥事からパジェロは候補から消え、プラドに決定した。
同じトヨタのサーフも考えはしたが、背面スペアタイヤをなくしてしまっていたのと、ランドクルーザーという肩書きの魅力のため、プラドが勝った。
初代テラノ購入時に候補だったのが、プラドの前身のランドクルーザーワゴンだったことを考えると、15年ぶりに実現したことになる。

 8月29日にテラノを手放して以来44日目、長い代車(ギャラン)生活を経て、10月11日ついに納車された。
かなりじっくり選んだということもあり、スムーズな加速、安定した走り、HDナビやDVDなどの装備、どれをとっても非常に満足な車だった。
この車では富士山、伊豆、箱根、山梨等比較的近場を何度か訪れるということが多かった。
ファミリア以来のガソリン車で、燃費という点での問題はあり、この車にしてから維持費は高くなった。

 アナログ放送が終わり、地デジ化をどうしようかと検討した結果、ワゴンRのデカゴリラを搭載できるようにした。
そのため、テレビとナビの同時使用も可能になった。
感度を高めるための「シャークアンテナ」やディスクエラー対策としてのDVDプレーヤーの搭載等、マイナーなアップデートも繰り返した。
シャークアンテナやDVDプレーヤーは後にワゴンRに移設した。

 購入後11年目に入り、走行距離が290,000kmを突破した。
仕事で藤枝や焼津に入れられたことが大きいかった。
その影響からか、いろいろガタが来始め、ラジエーターの修理とタイヤの交換(これは普通だが)に迫られた。
車検が半年後に迫ったことから、新車への乗り換えを決断した。
プラド自体は気に入っていたので、いつもの流れで次もプラドにした。
最終的な走行距離は294,646kmだった。


テラノ(日産)

1996年2月〜2004年8月 (8年7か月)


 ワイドR3m-Rというヤツだった。
愛称は「ブラックドラゴン」。
初代テラノがエンジンがかからなくなるトラブルが頻発したので、買い換えということになった。
テラノが非常に気に入っていたので、今度もテラノにした。
テラノがフルモデルチェンジしたということで雑誌を見ていたこともあり、突然購入の必要に迫られた時、すぐに決定できた。
前テラノのトラブルのため、日産の代車(ブルーバード)を経てのチェンジだった。
そのため、改めて車高の高さを感じた。

 思えばこの車にしてから転勤のペースが早まり、各地を転々とするようになった。
購入を決めたのとどちらが先か忘れたが、すぐに藤枝に転勤になった。
翌年には浜松、さらに2年後(この間勤務先が一度変わった)に富士、その翌年に豊橋、翌年碧南、半年後に刈谷、そして半年後に沼津に帰った。
この間引っ越しが長泉→藤枝→浜松→沼津→豊橋→碧南→沼津と6回。
引っ越しを伴わない転勤も入れると9回となる。
この車では仕事で東京と大阪に行った他、藤枝時代に平泉、浜松時代に京都へ行った。
この期間の旅は広島、九州、北海道等、遠方が多かったため、この車の出番はなかった。
CDチェンジャーが壊れたため換装、さらにオーディオも壊れて換装。
これにより、FM経由ではなく、ダイレクトにCDを聴けるようになった。

 愛知に転勤になったため、東愛知日産の管轄になったのだが、言ったことが伝わらないというトラブルが多かったため、2001年の車検ではディーラーを使わないようになった。
2003年の車検で修理代が高額になり、同年夏に電気系統の異常、さらに高速運転時にハンドルがぶれるなどのトラブルが頻発、次の車検がまた高額になるのを恐れ、ついに買い換えを決意した。
しかし、すでに日産はテラノの生産を終了しており、2台で14年10か月に及ぶテラノ生活に終止符が打たれることになった。
走行距離は100,000kmを超えていた。


テラノ (日産)

1989年12月〜1996年2月 (6年2か月)


 TD27T型ターボというヤツだった。
愛称は「怪力熊男」。
オフロード走行でパワフルな動きを見せたため、聖飢魔Uの歌にちなんでつけた。

 ファミリアにトラブルが頻発するようになったため、新車の購入を決意した。
当時会社で新車ラッシュだったことから、人と違ったタイプの車にしたいと思った。
近隣の部署でパジェロにした人がいて、四駆を考えた。
当初はランドクルーザーワゴンのショートホイールベースを考えていたが、当時の上司の薦めもあり、テラノに決めた。
ちょうど4ドアが出たところだったが、2ドアの三角窓がデザイン的に好きだったので、あえて2ドアにした。
だが購入二ヶ月後に転勤で実家に戻ったため、人を乗せることが多くなり、4ドアの方がよかったと後悔することになった。
清水で購入したために静岡ナンバーだったが、沼津に転勤となったため、またも地元ナンバーではなくなってしまった。

 試乗ではマニュアル車に乗ったが、購入はオートマ車にした。
初めてのオートマだったが、マニュアルよりはるかに楽で感動した。
運転することが楽しくなり、いろいろと城めぐりに出かけた。
このサイトに掲載している写真のほとんどは、この車で行ったところである。
また、オフロード走行にもよく出かけた。
さまざまな難所をこの車で乗り越えた。
パワーアップのため、サスペンションを交換するなどの改造を施した。
オフロード車としての高性能ぶりを思う存分発揮したが、今にして思えば、この頃の過酷な走行が寿命を縮めたのかもしれない。
異常に水温が上がったり、突然エンジンがかからなくなって立ち往生という事件が何回か起きたため、藤枝転勤を目前に控えて買い換えることにした。


ファミリア (マツダ)

1984年8月〜1989年12月 (5年4か月)


 1500ccのXGというヤツだった。
色と富田靖子のニックネームから「シルバートミー」と名付けた。
「運転しないと忘れるぞ」という兄の言葉により、親から与えられた。
最初で最後のマニュアル車。
装備もバックミラーはフェンダーミラー、パワーウィンドウもパワーステアリングもなく、当初はオーディオはラジオのみ、エアコンもなかった。
まさに純粋な「車」だった。
後にホームセンターでカセット(オートリバースですらない)とエアコンを取り付けた。
オーディオは後に上司から譲り受けた高性能なものに換装した。
沼津ナンバーであったが、大学時代には大学のあった八王子や多摩、就職してからは勤務先だった清水や静岡など、沼津ナンバーの地域で乗ることはほとんどなかった。

 大学時代は週2回、練習がある日の通学に使った他に、八王子のアパートから沼津までの帰省やサークルの合宿、東久留米でのボランティア活動など、結構走っていた。
就職後の夏休みにはこの車で佐渡に渡り、そこから新潟港に止めたままフェリーで北海道に渡ったこともあった。
実に東京、千葉、長野、山梨、神奈川、新潟と、1都5県を走り回ったことになる。
ただ、いろいろ行った割には、運転を楽しむというよりは単に移動手段という感覚の方が強かった。

 会社のCM撮影(当時CMに出演してしまった!)の帰りに校舎に向かおうとしてエンジンがかからなかった事件をきっかけに新車の購入を決意。
テラノ納車1週間前にパンクによるタイヤ交換というとどめをさし、5年半の歴史に幕を閉じることになった。


薔薇 (スズキ)

1984年8月〜1988年2月? (3年6か月?)


 普通免許を取って初めて購入した原付バイク。
当初は原付免許を取るつもりだったのだが、「18歳なんだから普通車」という兄の言葉で教習所に通うことになった。
免許は取ったが、まずは原付ということで購入を考え、バイクのアオヤマにて購入。
当時はバイトも満足にしていなかったので、安くて手頃ということでこれにした。
セルなしのキック式だったが、「バイクの始動はキック」というイメージがあったので、特に不便は感じなかった。

 大学のある八王子に持って行こうかと思ってはいたものの、結局できず終いでずっと実家に置いておいた。
そのため休みに帰省した時ぐらいしか乗らなかったが、バイトに行く時や教育実習、博物館実習の時など、結構重宝した。
就職してからも実家には住まなかったので、全く乗らなくなった。
会社の研修の時にこれで三島駅まで行ったのが最後に乗った記憶である。
バッテリーがあがってしまい、直そうと思っているうちにいつの間にか兄に奪われてしまった。

 尚、管理人が乗っていた薔薇の画像は残念ながら現存していなかったので、サイトから拾ったものを使用した。
ちなみにこれはその際に発見した岡田有希子さんが薔薇に乗っているショット。



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